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旧岩崎久弥邸

 壮麗な洋館,明るい芝庭 ジョサイア・コンドルの傑作中の傑作!

  一月の最終日,四月上旬の暖かさに誘われて,上野不忍池に程近い所にある旧岩崎邸庭園を妻と訪れた。
善しにつけ悪しきにつけ,日本の産業近代化に大きな役割を果たした三菱財閥の創業者岩崎弥太郎の長男・久弥の結婚と三代目社長就任に当たって建てられた邸宅である。

 設計は,国立博物館,鹿鳴館やニコライ堂を手がけ,明治建築史に名を残すイギリス人建築家コンドルで,1986年(明治29)に完成している。
 戦後GHQに接収(かの悪名高き謀略組織キャノン機関のアジトのひとつが置かれていたと仄聞する)され返還後,1952年(昭和27)に国有化され,最高裁判所司法研修所などに使用(〜1970)され2003年(平成15)4月東京都の公園として開園した。   【国指定重要文化財(1999 指定)】  
洋館北側外観

 木造2階建・地下1階。屋根は手割のスレート葺き。広さは531u。17世紀の英国ジャコビアン様式を基調に,ルネサンスやイスラム風のモティーフも取り入れられている。1階部分に玄関・食堂・厨房・書斎・客室,2階に客室・集会室,地下に倉庫・機械室が設けられている。棕櫚の木などが植えられていて異国情緒あるもなんとなくそぐわない。           

 旧岩崎邸は,創建当時は敷地15,000坪余りに20棟もの建物が並んでいたというが,現在は敷地5,500坪,和館・洋館・ビリヤード場の三つの建物と芝庭園が保存・公開されている。)
 敷地は,越後高田藩江戸屋敷〜元舞鶴藩知事 牧野弼成〜旧三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の長男で、3代目岩崎久弥が別邸となった。

 まず洋館の玄関で,靴をビニール袋に入れて中に入る。全て赤色の絨毯が敷き詰められていて,ステンドグラスから差し込む淡い陽の光と温かみのある電燈のやわらかい光で内部はしっとりと落ち着いた感じ。余り見慣れていないジャコビアン様式の飾りが彫り込まれた太い柱には,ちょっと違和感を抱いたが,高い天井や豪華な壁紙の雰囲気に包まれているうちにすぐに消えうせた。
まずは,順路にしたがって2階へ。客室,集会場,トイレを見て階下へ。 玄関〜広間,廊下にかけての腰壁と集会室,客室の壁や天井には,日本で数箇所にしか現存しない金唐紙が使用されている。
室内の家具・ストーブなども忠実に再現されている。
 和館は,書院造りを基調にして,当時は,洋館をはるかに凌ぐ建坪550坪の規模を誇っていたが,最高裁研修所を造る際,多くの部分が取り壊されたという。
         洋館南側

 玄洋館南側には1,2階とも列柱が建ち並ぶベランダが広大な庭に面している。
 ベランダ1階の列柱はトスカナ式、2階列柱はイオニア式。右手にヒマラヤスギの大木が聳える。

      大階段と飾り柱

 ゴシック様式の重みを持つ大階段とツルを巻くような装飾が施されているジャコビアン様式の飾り柱は,ホールに重厚な雰囲気を醸し出してている。意外と淡白な桜の花模様のすりガラスが入れられた窓からやわらかな光が差し込んでいる。
地下室へは螺旋階段で下りられる(非公開)。
          階段

 
装飾でふんだんに飾られている階段回り。 1階ホールから階段にかけての演出は見事である。

     書斎の暖炉と金唐紙

 暖炉の上方の壁は豪華な金唐紙が使用されている。
   アラビック紋様の付いた暖炉

 
       寄木フローリング

 
二階集会室と客室の床の四隅は,寄木細工のフローリング。使用材は花梨,桑,欅,樫,楢,黒檀。

 
       ベランダ

 広い庭園に面して暖かい陽の光が差し込んでいた。
   イスラム風デザインのタイル

 1階ベランダには,イスラム風のタイルが敷き詰められている。英国の高級陶磁器ブランドのミントン社製だという。
 このミントンタイルは1階暖炉の床にも使用されている。
        大広間

 
書院造りの大広間の違い棚。左手の壁には日本画家・橋本雅邦作と云われている四季を描いた障壁画がうっすらと残っている。
 14部屋もあった居室のうち、残っているのはここだけ。

       和館の濡れ縁

 和館の庭は,手水鉢や石碑,庭石,モッコクの大木など往時を偲ぶことが出来る。現在では入手困難な檜や杉の大木がふんだんに使われている。
   山小屋風のビリヤード室

 洋館から離れて左手に別棟として建っている。当時としては非常に珍しいスイスの山小屋風の造り。校倉造り風の壁,刻みの入った柱,軒を深く差し出した屋根,内部はゴシック調の木造建築である。本館と地下通路で結ばれている。